手書きの体験と時間が脳を働かせる|酒井邦嘉

手書きプラス

2024.10.25

デジタルが主流になりつつある現代において手で書くことに造詣が深い方々にお話しを伺い手書きの魅力を伝える手書きプラス今回は東京大学で言語脳科学に関する研究を行っておりその第一人者でもある酒井邦嘉教授に手書きだからこそ得られる効果や重要性について伺いました。

手書きは手がかりが豊富だから脳へ情報が深く入る

――まずは酒井さんが研究されている言語脳科学について教えてください。

言語脳科学脳科学の中でも人間の脳に特化しており人間がもつ高次機能でもっとも重要な言語を中心に据えて脳がどのように言葉を生み出すかを研究する科学です
脳研究のほとんどは情報の入力と出力に終始していて人間がどのように新しいことを創造して表現できるかは未解明です最新の研究では音楽やマンガでも言語表現に近い構造化をして創造表現することが分かっています

――酒井さんは言語と脳の関係を明らかにするために中でもどのような研究を行っているのでしょうか?

たとえば特定の言語機能に関連して脳のどの領域が働くかを解明する実験です参加者が脳を使って課題を解く際にfMRI機能的磁気共鳴画像法で血流の変化を調べ脳の言語地図を作成しましたその結果文法や読解について考えるときは左脳前方の言語野が語彙や音韻については左脳後方の言語野が働くことがわかりました

このように脳の働きを研究することで書字のメカニズムも少しずつ見えてきましたたとえば文章を書くときは記憶処理に関係する海馬を用いて言葉を想起し文法処理に特化した運動前野外側部下前頭回文法中枢で構造化して文章をつくり運動野から運動の指令を出すことで腕や手を動かしていますまた文章を書くと言っても何にどのように書くかの違いで各領域の活動量が異なることが実験でわかっています

――それは興味深い実験ですねどのような違いを発見されたのでしょうか?

紙の手帳タブレットスマートフォンのいずれかでカレンダーにスケジュールを記入してもらい後でその内容を想起させる実験を行いましたすると紙の手帳に手書きしたときに先ほど説明した運動前野外側部下前頭回海馬の脳活動下図の赤い部分がより多く上昇することがわかりました。

紙への手書きの方が紙と文字の位置関係などの手がかりが豊富な分脳に深く入りやすくなるためデジタル機器で入力したときよりも忘れにくいですし手書きしたときに理解した内容を元に新しい考えやアイデアを練るなど創造的な発想も浮かびやすいのです

手書きの内容を思い出そうとするといつどこで書いたか使っていたペンや紙などの周辺情報も一緒に思い出すことが多いと思います手書きが一連の体験の一部になっていると内容も忘れにくくなります逆にスマホに文字を打ったときの周辺情報はほぼ覚えていないでしょうこれは脳に入力される情報が乏しく深く入らないからですデジタル機器による効率化は脳への情報入力を希薄にするためかえって脳を働かせなくしてしまいます

カレンダーに書き込んだ内容を思い出す実験で紙の手帳に手書きした場合がもっとも脳活動を上昇させると判明した。

じっくり書くことで得られる考えるゆとり

――酒井さんご自身はどのようなときに手書きをすることが多いでしょうか?

私は”メモ魔”でして日々のあらゆるタイミングでメモを取っていますアイデアを思いついたときにすぐにメモに残したいのでメモ帳とペンは常に身近に置いていますね家では各部屋にベッドサイドやトイレにも置いています

メモを取るときは常に手書きです過去にPDAというスタイラスペンで記入するPDAという端末を使ったこともありましたが自分で書いた文字が読めない時があり使うのをやめました手書きなら筆圧の変化で筆順がわかりとめはねはらいが情報として残るので急いで書いた崩し字や誤字も自分なら読めます。

――手書き文字はデジタル機器の文字よりもより多くの情報を記録できるのですね。

手書きの長所は他にもありますそれは考えるゆとりですタイピングやフリック入力よりも文字を書くのは遅いですがじっくり書くことでしっかり考え脳を働かせるだけの十分な余裕が得られるわけです

最近は時間あたりの仕事を効率化するタイパが重視されていますが考える時間も削ってしまうのは脳にとっては逆効果です特に教育においては手書きをなくしてはいけません何度も繰り返し書いたり間違いを書き直すときに脳は多くを学んでいるのです

――貴重なご意見ありがとうございました!
最後におすすめの筆記具と手書きの可能性についてメッセージをお願いします。

筆記具でもっとも重要なのは思考を妨げないことです手書きは脳で思いついたことをもっとも早く出力できる方法の一つですがすぐにインクが出なかったりペン先が折れたりするとせっかくの思考を妨げてしまいますインクフローがよく丈夫で究極的には持っていること自体を忘れさせてくれるほど自然に書けることが大事ですね
ペンを選ぶときは筆圧やストロークの変化が文字に現れやすく思考を妨げずに自然な感覚で書けるものを選ぶとよいでしょう

私の好みでいうと一推しは万年筆ですね筆圧を自在に変えられますしインクフローがよければストロークなど手書きの情報がそのまま残りますもちろん簡単には消すことができないのでかえって丁寧に書くことを心がけられますただ万年筆は落とすとペン先がすぐに壊れてしまうためメモにはボールペンやシャープペンシルも使っています
シャープペンシルは1.18ミリの太い芯ですと筆圧を強くしても折れず線の太さが自在に変えられるので昔から使っています最近出たトンボ鉛筆のモノワークMONO workは1.3ミリの太芯なのでさらに自由度が高く手放せなくなりました筆記具はとにかく書き味が命で書き心地がよいと書くこと自体が楽しくなりますね

万年筆以外で思考を妨げずになめらかに書けるペンとして水性ゲルインクのボールペンがありますZOOM L1のために開発された替え芯は極上の書き味ですインクの色や線幅は限られていますが一般的な油性ボールペンを置き換えるだけでも手書きの世界が変わると思います

消せることを優先させた鉛筆に限ることなくそしてタブレットやパソコンのみに頼ることなく自分の手で書く喜びを体験する機会を持つことが創造的な仕事をするうえで重要な価値を生むと私は考えています

酒井邦嘉

東京大学大学院総合文化研究科教授専門は言語脳科学脳機能イメージング同大学院理学系研究科博士課程修了後同大医学部助手米ハーバード大医学部リサーチフェロー米マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て1997年東京大学大学院総合文化研究科助教授准教授2012年から現職おもな著書に言語の脳科学中公新書脳を創る読書実業之日本社デジタル脳クライシス朝日新書など

Direction:CREEK & RIVER
Writer & Photo:島尻明典

Pen:ZOOM L1(フルブラック)