近浦啓映画監督の私の美学
”世界に鳥肌を”——映画制作に捧げる狂熱」

私の美学。

2024.6.28

映画監督として輝かしい活躍を続ける近浦啓さん最新作大いなる不在昨年9月にトロント国際映画祭でのワールドプレミア上映を皮切りに各国の映画祭に入選し今年4月に開催されたサンフランシスコ国際映画祭では最高賞であるグローバルビジョンアワードを受賞しました今回のインタビューでは私の美学をテーマに映画制作に賭ける情熱とその裏にある哲学について伺いました。

逆境を乗り越えた映画監督の軌跡:近浦啓の世界に鳥肌をへの挑戦

――近浦さんは2006年に世界に鳥肌をという理念を掲げ制作会社を設立しましたが当時はまだSNSが普及していない時代でした個人の声を届けることが難しかったその時代にどのような背景やストーリーがあったのでしょうか?

私は90年代後半に映画制作への情熱から自分の生きる道として映画監督になろうと決めました自分でストーリーを作り脚本を書き監督する映画作家というスタイルを目指していました

そんな中ラストサムライの撮影現場でメインの俳優さんの一人から助監督を10年やったら監督になれる時代は終わったのだから自分で脚本を書き自主制作で撮っていくべきだよとアドバイスを受けましたニュージーランドでの撮影を終えた後東京に戻り映画関係とは全く別の会社に就職し3年間働きながら自分の会社を立ち上げる準備を進めました

――その経験も活かされたのですね。

そうです2006年YouTubeが登場した時期にオンラインとデジタル映像の融合を確信し映画作家として社会に対峙するための財政的基盤を築くために当初はウェブ制作をメインの生業にして会社を設立しました

当時は僕も20代後半で見込みが甘く映画制作どころか会社を存続させること自体が困難を極め初めて10分の短編映画を撮ることができたのは2013年でしたそして1作目の長編映画を完成させたのは2018年で設立から12年かかりました遠回りのようにも思われることもありますがこの選択に後悔はなく初心の情熱は今でも変わりません。

人知を超えた2%——近浦啓の美学とは?

――今回は私の美学というテーマですが近浦さんが大切にしている美学も世界に鳥肌をという言葉に深く関係しているのでしょうか?

世界に感動をではなく鳥肌をというところがこだわりの一つですいわゆる泣けるストーリーを作ることは比較的容易ですが文字通り鳥肌を引き起こすことは違う鳥肌は寒さや恐怖だけでなく音楽や映画小説などで心が揺さぶられる瞬間にも起こる身体的現象ですこの現象の理由は完全には解明されていませんが私は劇場で鳥肌が立つ瞬間を何度も経験しておりそんな瞬間を与えることができる映画を作りたいと思っています

そのためには単なる理屈を超えたレベルに達することが重要です98パーセントの努力を積み上げ人知を超えた残りの2パーセントを手に入れるため準備をすることを心がけています理屈だけでは到達できない部分を大事にしています。

――そんな美学が試された瞬間はどういう時でしょうか?

例えば映画の撮影中には不思議と“風”に恵まれることが多いのです風が欲しいシーンで自然と風が吹く瞬間が巡ってきます公開が控えている大いなる不在の具体例を挙げると森山未来さんと真木よう子さんが坂を下るシーンのリハーサル中にここで風が吹いてほしい吹くはずだと思い真木さんに立ち止まって日差しを見上げるようにお願いしました本番のファーストテイクのまさにその瞬間驚くほどの風が吹きましたこのシーンは映画に収められ海外の映画祭でも話題になりました
ヘリコプターを使わずにどうやって風を吹かせたの?と何人にも尋ねられましたがこうした瞬間は人知を超えたものでありその背後には98パーセントの努力と情熱が積み上げられてる自分はここに行くという強い意志が全て私の場合その意志が非常に強いと感じています。

手書きの力を信じる映画監督近浦啓の創作プロセス

――映画監督としてストーリーを組み立てたり意思を明確にしたりする際全ては書くことから始まりますよね手書きのエピソードについて教えていただけますか?

私は頭の整理のために手書きを行っています手書きすることで曖昧模糊としたアイデアを具体化し客観視できるようになります映画の企画ではコアアイデアが最も重要でこれが固まらないと先に進めませんそのため手書きのノートを使い多くのアイデアを書き出していますコアアイデアが固まればその後のテクニカルな部分は自分自身のスキルを使いまた過去の映画をリファレンスにしながら進めることができます

例えば大いなる不在のコアアイデアは観客との深いコミュニケーションを重視した構造を持っていますこのアイデアは映画の時系列と尺長さを軸にし観客と主人公の情報量の変化を示す赤い線を追加することから生まれました
具体的には映画の2本のタイムラインの軸があり近過去のタイムラインが現在から始まるタイムラインを追い最後には映画の冒頭の日に追いつく構造になっていますこの構造を使い観客と主人公の情報量の格差を劇中で変化させていくことを意図しました観客が映画の最後で新たな視点から物語を理解し全く異なる意味合いを見出す瞬間を作り出すことを目指しています
このようなコアアイデアは手書きで整理しますまた絵コンテも鉛筆で手書きしています手書きはアイデアを視覚化し整理するために重要これに至るまでには多くの試行錯誤があり手書きの過程がその基礎を形成しています

手書きをテーマにした映画の可能性

――例えば手書きをテーマにした映画を作るとしたらどんな作品をイメージされていますか?

手書きをテーマにした映画は多様な形で制作できます私がまず思い浮かべたのはホラーやスリラーのジャンルです書くという行為は人間の基本的なインターフェースであり手から生まれるものですそのインターフェースに狂いが生じるあるいはそれを奪われてしまうという事象を軸にすると面白いかもしれません手書きによって人間の心や思いを象徴させるのは一般的ですが私はよくありそうなアプローチから一歩引いて少しでも独創的な作品を作りたいどこまでいっても凡庸さからは逃れ得ないことは意識しながらも少なくともそこから離れようとして新鮮な視点を観客に与える映画を目指していくでしょう。

鳥肌立つ瞬間を求めて唯一無二のエンターテイメント体験を目指して

――最後にこれからもたくさんの作品を手掛けていかれると思いますが観客にはどのような感情を抱いてもらいたいですか?

私はメッセージ性を全く重視していませんもし伝えたいメッセージがあるなら論文やエッセイを書く方が適しています私が目指しているのは他では得られない一瞬の体験ですエンドロールが始まった時にぞわっとするような瞬間を提供することが目標それが私にとっての世界に鳥肌をという言葉の意味です

人生に大きな影響を与えるかどうかは別としてその瞬間がエンターテイメントとしての価値を持つと信じています

近浦啓

近浦啓
映画監督2018年コンプリシティ/優しい共犯で長編映画監督としてデビュー
第43回トロント国際映画祭でのワールドプレミアを皮切りに第23回釜山国際映画祭第69回ベルリン国際映画祭など多くの国際映画祭に選出され日本では第19回東京フィルメックスで観客賞を受賞2020年に全国劇場公開された
2023年長編第2作大いなる不在英題:GREAT ABSENCEが完成し第48回トロント国際映画祭第71回サンセバスティアン国際映画祭共にコンペティション部門にノミネートされるサンセバスティアン国際映画祭では最優秀俳優賞藤竜也アテネオギプスコアノ賞のダブル受賞を果たす翌年2024年USプレミア上映の第67回サンフランシスコ国際映画祭では長編実写映画コンペティションの最高賞であるグローバルビジョンアワードを受賞。

Direction:堀池みほ
Writer:池田鉄平
Photo:田中佳一

Pen:ZOOM L1シルバー)