私は90年代後半に映画制作への情熱から、自分の生きる道として映画監督になろうと決めました。自分でストーリーを作り、脚本を書き、監督する「映画作家」というスタイルを目指していました。
そんな中、「ラストサムライ」の撮影現場でメインの俳優さんの一人から「助監督を10年やったら監督になれる時代は終わったのだから、自分で脚本を書き、自主制作で撮っていくべきだよ」とアドバイスを受けました。ニュージーランドでの撮影を終えた後、東京に戻り映画関係とは全く別の会社に就職し、3年間働きながら自分の会社を立ち上げる準備を進めました。
そうです。2006年、YouTubeが登場した時期に、オンラインとデジタル映像の融合を確信し、映画作家として社会に対峙するための財政的基盤を築くために、当初はウェブ制作をメインの生業にして会社を設立しました。
当時は僕も20代後半で見込みが甘く、映画制作どころか会社を存続させること自体が困難を極め、初めて10分の短編映画を撮ることができたのは2013年でした。そして、1作目の長編映画を完成させたのは2018年で、設立から12年かかりました。遠回りのようにも思われることもありますが、この選択に後悔はなく、初心の情熱は今でも変わりません。
「世界に感動を」ではなく、「鳥肌を」というところがこだわりの一つです。いわゆる「泣ける」ストーリーを作ることは比較的容易ですが、文字通り鳥肌を引き起こすことは違う。鳥肌は寒さや恐怖だけでなく、音楽や映画、小説などで心が揺さぶられる瞬間にも起こる身体的現象です。この現象の理由は完全には解明されていませんが、私は劇場で鳥肌が立つ瞬間を何度も経験しており、そんな瞬間を与えることができる映画を作りたいと思っています。
そのためには、単なる理屈を超えたレベルに達することが重要です。98パーセントの努力を積み上げ、人知を超えた残りの2パーセントを手に入れるため準備をすることを心がけています。理屈だけでは到達できない部分を大事にしています。
例えば、映画の撮影中には不思議と“風”に恵まれることが多いのです。風が欲しいシーンで自然と風が吹く瞬間が巡ってきます。公開が控えている『大いなる不在』の具体例を挙げると、森山未来さんと真木よう子さんが坂を下るシーンのリハーサル中に「ここで風が吹いてほしい、吹くはずだ」と思い、真木さんに立ち止まって日差しを見上げるようにお願いしました。本番のファーストテイクのまさにその瞬間、驚くほどの風が吹きました。このシーンは映画に収められ、海外の映画祭でも話題になりました。
「ヘリコプターを使わずにどうやって風を吹かせたの?」と何人にも尋ねられましたが、こうした瞬間は人知を超えたものであり、その背後には98パーセントの努力と情熱が積み上げられてる。「自分はここに行く」という強い意志が全て。私の場合、その意志が非常に強いと感じています。
私は頭の整理のために手書きを行っています。手書きすることで曖昧模糊としたアイデアを具体化し、客観視できるようになります。映画の企画ではコアアイデアが最も重要で、これが固まらないと先に進めません。そのため、手書きのノートを使い、多くのアイデアを書き出しています。コアアイデアが固まれば、その後のテクニカルな部分は自分自身のスキルを使い、また過去の映画をリファレンスにしながら進めることができます。
例えば、『大いなる不在』のコアアイデアは、観客との深いコミュニケーションを重視した構造を持っています。このアイデアは、映画の時系列と尺(長さ)を軸にし、観客と主人公の情報量の変化を示す赤い線を追加することから生まれました。
具体的には、映画の2本のタイムラインの軸があり、近過去のタイムラインが現在から始まるタイムラインを追い、最後には映画の冒頭の日に追いつく構造になっています。この構造を使い、観客と主人公の情報量の格差を劇中で変化させていくことを意図しました。観客が映画の最後で新たな視点から物語を理解し、全く異なる意味合いを見出す瞬間を作り出すことを目指しています。
このようなコアアイデアは手書きで整理します。また絵コンテも鉛筆で手書きしています。手書きはアイデアを視覚化し、整理するために重要。これに至るまでには多くの試行錯誤があり、手書きの過程がその基礎を形成しています。
手書きをテーマにした映画は、多様な形で制作できます。私がまず思い浮かべたのはホラーやスリラーのジャンルです。書くという行為は人間の基本的なインターフェースであり、手から生まれるものです。そのインターフェースに狂いが生じる、あるいはそれを奪われてしまうという事象を軸にすると面白いかもしれません。手書きによって人間の心や思いを象徴させるのは一般的ですが、私はよくありそうなアプローチから一歩引いて、少しでも独創的な作品を作りたい。どこまでいっても凡庸さからは逃れ得ないことは意識しながらも、少なくともそこから離れようとして、新鮮な視点を観客に与える映画を目指していくでしょう。
私はメッセージ性を全く重視していません。もし伝えたいメッセージがあるなら、論文やエッセイを書く方が適しています。私が目指しているのは、他では得られない一瞬の体験です。エンドロールが始まった時にぞわっとするような瞬間を提供することが目標。それが私にとっての「世界に鳥肌を」という言葉の意味です。
人生に大きな影響を与えるかどうかは別として、その瞬間がエンターテイメントとしての価値を持つと信じています。
近浦啓
映画監督。2018年、『コンプリシティ/優しい共犯』で長編映画監督としてデビュー。
第43回トロント国際映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、第23回釜山国際映画祭、第69回ベルリン国際映画祭など、多くの国際映画祭に選出され、日本では第19回東京フィルメックスで観客賞を受賞。2020年に全国劇場公開された。
2023年、長編第2作『大いなる不在(英題:GREAT ABSENCE)』が完成し、第48回トロント国際映画祭、第71回サン・セバスティアン国際映画祭、共にコンペティション部門にノミネートされる。サン・セバスティアン国際映画祭では、最優秀俳優賞(藤竜也)、アテネオ・ギプスコアノ賞のダブル受賞を果たす。翌年2024年、USプレミア上映の第67回サンフランシスコ国際映画祭では、長編実写映画コンペティションの最高賞であるグローバル・ビジョンアワードを受賞。
Direction:堀池みほ
Writer:池田鉄平
Photo:田中佳一
Pen:ZOOM L1(シルバー)